家族旅行のはずだった。それなのに、私はひとりだった。

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朝5時。予定より早く目が覚めた。

今日は、両親と兄弟家族も一緒に行く家族旅行の日。子どもは昨夜から楽しみで眠れなかったようで、起きてすぐに「もう行くの?」と目を輝かせている。私も、何とか明るい顔を作って「まだ早いよ」と笑って返した。

家の中にはバタバタとした準備の空気が流れている。なのに、夫はソファに座ったまま、スマホをいじっていた。声をかけても「もう少ししてから動く」とだけ。

車に荷物を積むのも、子どもに着替えさせるのも、全部私。両親や兄弟家族と合流する時間も迫っているのに、夫は相変わらず自分のペースを崩さない。

そして、出発してから夫はどんどん不機嫌になっていった。(準備も積み込みも手伝わなかったのに)私が用意した荷物の量や分け方に文句を言い、道中の渋滞に舌打ちし、子どもがはしゃいでいる様子にもイライラした態度を見せた。私は、なるべく穏やかに空気を保とうとした。せめて子どもには楽しい思い出を…そう願っていた。

集合場所に到着すると、両親は変わらぬ笑顔で迎えてくれた。兄弟の家族も揃っていて、子どもたちは一気にテンションが上がった。にぎやかな声が響く中で、私は孤独だった。

昼食は、地元で評判の市場だった。注文を最初にして、後で取りに行くスタイルだ。人数が多かったこともあり、席がいくつかのテーブルに分かれた。私は子どもと一緒に座り、夫は兄弟家族と同じテーブルへ。向こうの席から笑い声が聞こえてくる。夫は私以外の前では調子よく会話する。外面がいいというのだろうか。

注文で並んでいるときには、私が子どもの食べられそうなものを考えたり、量をシェアしやすいよう配慮しているの傍で見ているにもかかわらず、夫は自分の食べたいものだけを選び、さっさと兄弟家族のところへ行ってしまった。

些細なことかもしれない。でも、この“些細なこと”の積み重ねが、私を壊していく。

午後は、みんなで海へ向かった。子どもたちは大はしゃぎで、水着に着替える間も「早く行こう」と待ちきれない様子だった。私の父が大きな浮き輪をいくつも膨らませて、母はレジャーシートの準備。兄弟家族はテントを張ったり、冷たい飲み物を配ったりと、それぞれが自然に役割をこなしていた。

そんな中で、夫はというと、傍らで見ているだけだった。自分から何かしようとはしない。

私は子どもと手をつないで海に入り、波にキャッキャと声を上げる子どもの姿を見ながら、これが“幸せのふり”だと分かっていた。家族が揃っているはずのこの瞬間に、私の隣には誰もいなかった。

それでも、子どもの笑顔は本物だった。私の両親も笑っていたし、兄弟家族も写真を撮り合って楽しそうだった。私だけが、透明な壁に包まれているような気がしていた。みんなと同じ空間にいながら、ただ心が遠かった。

夕方、海から戻ってホテルで夕食をとった。大広間での食事は和やかで、テーブルには刺身や天ぷら、煮物がずらりと並んでいた。母が私の子どもに「今日はたくさん泳いだね」と声をかけ、子どもは「すっごく楽しかったー」と笑いながら報告した。

子どもは無邪気だ。とても微笑ましい空気だった。

そんな中、夫は食事が終わると「ちょっと部屋に戻る」と言って立ち去った。

その夜、ホテルでは海辺でイベントが開催されていた。夜光虫の紹介だ。子どもたちは未知のものに対する好奇心でワクワクしているのが見て分かった。私の父は大きなカメラを持って写真を撮る気満々だ。「そんな大きなカメラ持ってきてたの?」と笑い合った。兄弟たちも「せっかくだし行こう」と全員揃って出かけた。

夫だけが来なかった。

子どもは最初、「お父さん来ないの?」と何度も聞いた。でも、私が「今日は疲れてるんだって」と答えると、少しだけ不満げな顔をして、それ以上は何も言わなかった。

夜の海は、昼とは違う表情を見せていた。波音に混じって、夜光虫の説明がされる。理科の実験のようで、子ども達は「すごい!すごい!!」とはしゃいでいた。私の母が「きれいなのねぇ。お母さん初めて見たわ。」とつぶやいた。少しは親孝行になっているのだろうか。

夫のいないその時間、私はむしろ少しだけ、気が楽だった。

でも、ほんとうは違う。そうじゃない。
私は“最初から”期待していたのだ。
今回の旅行で、少しでも家族としての温かさを感じられたら──そう願っていた。
けれど、期待は、またしても裏切られた。

夜の風が、海の塩の匂いを運んできた。
それは、どこか冷たくて、胸に沁みた。

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