朝、目が覚めたのは6時過ぎだった。
隣で子どもがもぞもぞと動いていて、楽しみにしていたテーマパークの話をしながら目を輝かせていた。
今日は旅行二日目。みんなでテーマパークに行く予定の日。
昨夜、夜光虫のイベントに夫が現れなかったことが、まだ胸の中に重く残っていた。
それでも、今朝は早めに起きてきた夫が、笑顔で義母や兄弟たちに挨拶をしている姿を見て、「外面だけは本当にいいな」と、どこか冷めた気持ちになっていた。
朝食会場では、家族みんなでそろってテーブルについた。
夫は兄弟たちと談笑し、義母に気を遣いながら料理を取り分けたりもしていた。
その姿は、まるで“理想的な家族の一員”を演じているようにすら見えた。
けれど、私に対してはほとんど目も合わさず、話しかけてくることもなかった。
一言、二言交わした会話も、どこか義務的で、心のこもったものではなかった。
「こうして、家族の中にいるようで、私はどこにもいないような感覚になるんだよね」
ふと、そんな言葉が胸の中に浮かんで消えた。
食事を終え、ホテルを出てテーマパークへ。
駐車場に着いた頃にはすっかり陽も高く、園内はすでに人でにぎわっていた。
入園してすぐ、子どもたちは大興奮。
アトラクションのパンフレットを広げて、「これ乗りたい!」「あれも楽しそう!」と目を輝かせていた。
兄弟家族は、自然と夫婦で連携しながら子どもを見守っていて、写真を撮ったり、笑ったり。
両親もそんな様子を嬉しそうに眺めていた。
その中で、私と夫だけは、噛み合わない歯車のようにずれていた。
夫は時折、子どもに話しかけたり、手を引いたりしていた。
「父親」をしている時間だけは、それなりに見えた。
でもそれはあくまで“他人の目”がある時だけのこと。
アトラクションの待ち時間中、私は子どもと一緒に並んでいた。
夫はといえば、列には加わらず、日陰のベンチでスマホをいじっていた。
こちらの視線に気づいても、まったく目を合わせようともしない。
少し疲れてきた子どもが「喉乾いた」と言い出し、夫が「買ってくる」と売店へ向かった。
数分後、戻ってきた夫の手には子どものリンゴジュースと、自分のスポーツドリンク。
私の分はなかった。
「…あぁ、そういうことか。」
黙ってその場に立ったまま、私は自分の中に湧いてくる小さな怒りを静かに飲み込んだ。
こんな些細なことで、傷ついてしまう自分が情けないような、でもちゃんと傷ついてるんだよと誰かに訴えたいような、複雑な感情。
夕方になり、そろそろ帰ろうかという時間。
兄弟家族が最後に写真を撮ろうと声をかけ合っていたその時、夫は「先に車に戻ってる」と言い残して、一人で駐車場へ消えていった。
私は荷物を持ち、眠たそうな子どもの手を引きながら、最後のアトラクション近くで写真を撮った。
写るのは笑顔の子どもと私。
そこに夫の姿はなかった。
旅行は今日で終わる。両親と兄弟家族ともさよならの挨拶をして帰路につく。
帰りの車の中、子どもはすぐに寝てしまった。
私は助手席で静かに外を見ていた。
夫は無言でハンドルを握り、何も言わなかった。
終始、沈黙のままだった。
この旅行で、私は何度「家族らしさ」を探しただろう。
けれどもう、答えは分かっている。
私たちは、“家族”という外見だけをどうにか繕っているだけで、その中身はもうとっくに壊れてしまっている。
それでも私は、笑った。
せめて子どもの記憶の中に、この旅行が“楽しかった”ものとして残るように。
私が笑う理由は、もう、それだけだった。
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