一度、終わったはずだった。
あの不倫は、終わったことになっていた。
誓約書も書かせた。
もう職場以外では二度と会わないと、約束もさせた。
しかも不倫相手とは係争中だ。
だから私は、あの一件をどうにか飲み込もうとしていた。
許す許さないの話ではない。
家庭を続けていくために、見ないようにしていた。
それなのに——。
あの薬を見つけてから、不信感でいっぱいだ。
半錠ずつ減っていく銀色のシート。
週に二回ほどのペース。
私たちの間には、ずっと営みがない。
それなのに薬だけが減っていく。
それでも、決定的なことは何もなかった。
だから私は、自分の中の疑いを無理やり押し込めていた。
夫は言っていた。
「今日も仕事で遅くなる。」
最近、その言葉をよく聞く。
以前から忙しい職場ではあったが、回数が明らかに増えていた。
その言葉を、もう一度だけ信じてみようか。
そう思う自分もいた。
でも同時に、頭のどこかが静かに言っていた。
——本当に仕事なのか?
私の心は不信感でいっぱいだった。
ある日、私は携帯電話を手に取り、夫の職場の番号を押した。
コール音が鳴るたびに、心臓の鼓動が大きくなる。
「はい、〇〇です。」
電話に出たのは、事務の女性だった。
「お世話になっております。
〇〇の家族ですが、少し確認したいことがありまして…」
自分でも驚くほど、声は普通だった。
けれど、手のひらは汗で湿っていた。
「昨日、主人かなり遅く帰ってきたので…
仕事だったと思うんですが…」
電話の向こうが、一瞬だけ静かになった。
「昨日…ですか?」
その沈黙が、妙に長く感じられた。
そして、次の言葉が返ってきた。
「昨日は…確か、お休みを取られていたと思いますが。」
頭の中が、一瞬真っ白になった。
「え…?」
思わず聞き返してしまった。
「はい。有給を取られていました。
出勤はされていません。」
電話の向こうの声は、ただ事実を伝えているだけだった。
何の悪意もない、事務的な声。
でもその言葉は、胸の奥に重く落ちた。
仕事で遅くなると言っていた日。
その日は、仕事ではなかった。
電話を切ったあと、私はしばらく動けなかった。
頭の中で、いくつものことがつながっていく。
半錠ずつ減っていく薬。
車に移されたシート。
鞄を触らせなくなったこと。
そして、増えた「残業」。
ようやく分かった。
終わったと思っていた不倫は、終わっていなかった。
むしろ——
また始まっていた。
薬が半錠ずつ減っていったように、
私の中の「もう一度信じてみよう」という気持ちも、少しずつ削られていった。
夫が「仕事」と言っていたその時間に、
夫はどこにいたのか。
誰と会っていたのか。
その答えは、まだはっきりとは見えていなかった。
でも、これだけは分かっていた。
これは、ただの疑いではない。
不倫が、また始まっている。
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