カレンダーと写真を照らし合わせていった
夫と私は、子どものお迎えや行事を把握するために、共有カレンダーを使っていた。
もともとは、口頭で伝えていた。
でも夫は、本当によく忘れた。
「言った」
「聞いてない」
そんなやり取りが何度もあった。
そのたびに私が折れる形になって、
結局、予定は共有カレンダーに入れるようになった。
夫がお迎えに行けない日。
帰りが遅くなる日。
予定がある日。
そういう日は、カレンダーに残っていた。
それまでは、
ただの家族の予定表だった。
まさか後になって、
そのカレンダーをこんな気持ちで見ることになるなんて、
思ってもいなかった。
写真の日付と、予定が重なっていった
私は、見つけた写真や動画の撮影日と、
共有カレンダーに残っている予定を見比べていった。
最初は、
何か勘違いだったと思えるものが見つかるかもしれない。
そんな気持ちも、まだ少しあったんだと思う。
でも、
一つ確認する。
また一つ確認する。
そのたびに、
嫌な一致が増えていった。
「帰りが遅くなる」
そう書かれている日。
その日に撮られた写真がある。
別の日を見る。
また、
「帰りが遅くなる」
そして、その日にも写真がある。
偶然?
最初はそう思おうとした。
でも、
一つじゃなかった。
「帰りが遅くなる」の意味が変わった
今まで私は、
夫から「今日は帰りが遅くなる」と言われれば、
そうなんだと思っていた。
仕事なんだろう。
何か予定があるんだろう。
だから私は、
夫がいない日のことを考えて、
子どものお迎えをして、
ご飯を用意して、
お風呂に入れて、
いつものように一日を回していた。
疑っていなかった。
夫の言葉を、そのまま信じていた。
でも今、
同じ「帰りが遅くなる」という文字を見ても、
もう以前と同じ意味には見えなかった。
あの日も?
この日も?
じゃあ、あの日も?
確認するたびに、
過去の記憶まで塗り替えられていくようだった。
……真っ黒じゃないか
何度も、
カレンダーを見る。
写真を見る。
またカレンダーに戻る。
確認すればするほど、
私が信じたかった答えから遠ざかっていった。
そして、
もう自分に言い聞かせることができなくなった。
……真っ黒じゃないか。
ただ仲がいいだけ。
プラトニックな関係かもしれない。
私が考えすぎているだけ。
ずっと残してきた逃げ道が、
一つずつなくなっていった。
私は、ずっと信じていた
一番苦しかったのは、
女性の存在だけじゃなかった。
夫の言葉を信じていた自分だった。
「帰りが遅くなる」
そう言われれば、
「わかった」
と答えていた。
その間、
私は子どもたちとの生活を回していた。
何も知らずに。
何も疑わずに。
夫が帰ってくれば、
いつものように迎えていた。
それが何年も続いていたのだとしたら。
私は一体、
何を信じて生活していたんだろう。
写真とカレンダーを見比べながら、
ようやく認めざるを得なくなった。
私は、ずっと騙されていた。
コメント