調べることを、やめられなくなっていた
子どもを寝かしつける。
部屋が静かになって、夫の規則正しい寝息が聞こえてくる。
それが、いつの間にか私にとって一日の終わりではなく、
「確かめる時間」の始まりになっていた。
もう何度目になるんだろう。
最初の頃は、手が震えていた。
心臓がバクバクして、ちょっとした物音にも驚いた。
自分がしていることへの罪悪感もあった。
「私、何してるんだろう」
何度もそう思った。
それでも、やめられなかった。
何もなければ、それでいい。
私の勘違いだったとわかれば、それで終われる。
でも、もし何かあるのなら。
知らないままでいることの方が怖かった。
普通の写真まで、疑うようになった
ある夜、目に入ったのは夫の写真だった。
そこには、子どもたちとの日常があった。
家族で出かけたときの写真。
旅行の写真。
何でもない日常の写真。
以前の私なら、何も考えずに見ていたものばかりだった。
でも、もう同じようには見られなかった。
これはいつ?
ここはどこ?
誰と行った?
この写真は誰が撮った?
何かおかしいところはない?
気づけば私は、
普通の写真の中にまで「何か」を探すようになっていた。
そんな自分が嫌だった。
子どもたちが笑っている写真なのに、
私はその後ろにあるものばかり気にしている。
楽しかったはずの家族の思い出まで、
疑う目で見るようになっていた。
「何もない」を確認したいだけだった
たぶん私は、
「何かを見つけたい」と思っていたわけじゃない。
むしろ逆だった。
何もないことを確認したかった。
今日も何もなかった。
やっぱり私の考えすぎだった。
そう思って、安心して眠りたかった。
でも、見れば見るほど安心するどころか、不安は増えていった。
何も見つからなければ、
「消したのかもしれない」
と思う。
少しでも気になるものがあれば、
「やっぱり何かある」
と思う。
どちらに転んでも、
もう安心できなくなっていた。
夫の寝顔を見ても、安心できない
確認するのをやめて、
夫を見る。
いつもと変わらない顔で眠っている。
その寝顔を見ながら、
私は何度も思った。
この人は、本当は何を考えているんだろう。
私が知らない夫がいるんだろうか。
5年前から続いていた、あのやり取り。
「いつものところ」
人に会わないように時間をずらしていた二人。
それでも私はまだ、
「何か事情があるのかもしれない」
と思おうとしていた。
信じたい。
でも、疑っている。
疑っている自分が嫌になる。
だから確かめる。
確かめると、また疑いたくなる。
ずっと、その繰り返しだった。
私は、どうしたいんだろう
毎晩こうして、
少しずつ心を削っていた。
調べれば答えが出ると思っていた。
答えが出れば楽になれると思っていた。
でも実際は違った。
知れば知るほど、
わからなくなった。
夫が何をしているのかだけじゃない。
私は、どうしたいんだろう。
夫を信じたいのか。
真実を知りたいのか。
それとも、
何も知らなかった頃に戻りたいのか。
自分でもわからなかった。
ただ一つだけわかっていた。
もう私は、
何も疑わずに夫の隣で眠っていた頃の自分には、
戻れなくなっていた。
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