「やっぱり、確かめよう」
そう思ってからも、すぐに動けたわけじゃなかった。
毎日は相変わらず忙しかった。
仕事に行って、子どものことをして、家のことをして。
気づけば一日が終わってる。
夫のことは気になる。
あの電話の向こうが、どうしてあんなに静かだったのかも忘れてない。
でも、何かを調べるところまではいかなかった。
そんな日が、しばらく続いた。
でも、ある日。
仕事が忙しい中、ふと時間があいた。
ちょうど定時を過ぎたところだった。
退勤処理さえしてしまえば、もう誰にも急かされない。
珍しく、何もすることのない時間ができた。
「今日はちょっと早く帰れるな」
いつもなら、そう思ったはずだった。
夫に、
「今日はお迎え行けるよ」
って連絡してたかもしれない。
いつもより早く家に帰って、
「今日は早く晩ごはんにできたね」
なんて話してたかもしれない。
でも、その日は違った。
なぜか、家に帰る気になれなかった。
家に帰りたくなかった
机の上の鍵を手に取った。
でも、そのまま動けなかった。
家に帰りたくない。
自分でも、なんでそんなことを思うのかわからなかった。
少し前まで、家は安心できる場所だった。
仕事が終わったら帰る場所。
夫と子どもがいる場所。
それなのに、この頃の私にとって家は、前と同じ場所じゃなくなってた。
夫がいる。
でも、その夫が何を考えてるのかわからない。
何をしてるのかもわからない。
普通に話していても、
「本当に?」
って心のどこかで思ってしまう。
そんな自分も嫌だった。
家の鍵を握る手に、無意識に力が入った。
あったかいはずの家なのに、なんだか冷たく感じる。
だったら、このまま職場の椅子に座ってる方がいい。
少しだけ、何も考えずにいたい。
そんなことを思った。
自分の気持ちひとつで、同じ家がこんなにも違って見えるんだ。
そのことにも、少し驚いた。
ずっと頭の片隅にあったこと
パソコンを閉じた。
そして、スマホを手に取った。
何をするわけでもなく、しばらく画面を見てた。
でも、頭の中にあるのは夫のことだった。
最近の夫を思い返す。
会話。
スマホ。
散歩。
筋トレ。
身支度。
私服。
帰宅時間。
そして、あの日の電話。
一つひとつは、本当に小さなことだった。
それだけなら、
「考えすぎ」
で終わらせられた。
実際、私はずっとそうしてきた。
夫を信じたい。
疑いたくない。
でも、何かがおかしい。
その二つの気持ちが、ずっと自分の中にあった。
その日は、なぜかそれを無視できなかった。
「探偵 浮気調査」
スマホを開いた。
検索窓を出す。
何を検索するのか、自分でもわかってた。
でも、なかなか文字を打てなかった。
これを検索したら、本当に夫を疑ってることになる。
そんな気がした。
しばらく画面を見たあと、ゆっくり文字を打った。
「探偵 浮気調査」
検索ボタンを押した。
それだけなのに、ものすごく悪いことをしてるような気がした。
夫に隠れて、夫のことを調べようとしてる。
本当にそこまでしていいの?
まだ何もわかってないのに。
やっぱりやめようかな。
そんな気持ちもあった。
でも、検索結果を閉じることはできなかった。
何を基準に選べばいいのかもわからなかった
画面には、いくつもの探偵事務所が出てきた。
正直、何が違うのかもよくわからない。
費用。
口コミ。
対応時間。
相談方法。
いろんなことが書いてある。
でも、
「ここなら絶対大丈夫」
なんて、私に判断できるはずもなかった。
それでも、いくつかの探偵事務所を見比べた。
その中で、
「ここなら話せるかもしれない」
と思ったところがあった。
問い合わせ方法を見ると、LINEがあった。
LINEなら電話よりハードルが低い。
そう思った。
※このとき私が探偵事務所を選ぶうえで何を重視したのかは、別の記事に詳しくまとめています。
LINEのボタンを押すだけなのに怖かった
LINEのボタンを見つめた。
押せばいい。
ただ、それだけ。
なのに、なかなか押せなかった。
押したら、本当に始まってしまう気がした。
夫を疑ってることを、初めて誰かに話すことになる。
これまでずっと、自分の中だけにしまってきたことだった。
友達にも言ってない。
家族にも言ってない。
誰にも話してない。
夫のことを疑ってるなんて、口にすることすら怖かった。
それを、今から知らない人に話そうとしてる。
指が少し震えた。
それでも、
えいっ。
そんな気持ちでボタンを押した。
「夫の行動を調べてほしい」
LINEの画面が開いた。
何て書けばいいんだろう。
また止まった。
夫が浮気してるかもしれません。
いや、まだ浮気してるって決まったわけじゃない。
夫の行動が怪しいです。
「怪しい」って何?
自分で書いて、自分で消す。
何度も文章を打ち直した。
結局、
夫の行動を調べてほしい。
そんな内容を、できるだけ短く、丁寧な言葉で送った。
送信。
押した瞬間、
「あ、送っちゃった」
と思った。
もう戻せない。
画面を見つめてた。
すると、すぐに既読がついた。
早い。
驚くくらい早かった。
そして、返信がきた。
「お電話可能ですか?
できればLINEを使用した対面通話をお願いしたいのですが。」
その文字を見た瞬間、
ドクン。
心臓が大きく鳴った。
顔を見せて、夫のことを話す?
電話。
しかも、顔を見ながら話す。
一気に怖くなった。
文字なら書ける。
送信ボタンを押せばいい。
でも、話すとなると違う。
誰にも話してこなかったことを、自分の口で言わなきゃいけない。
しかも、自分の顔を見せながら。
「夫が浮気してるかもしれないんです」
そんなことを言う自分を想像した。
急に全部が現実になった気がした。
夫を疑ってる自分。
夫を調べようとしてる自分。
本当のことを知ろうとしてる自分。
それまで頭の中だけにあったものが、一気に目の前に出てきた。
指先に汗がにじんだ。
スマホを持ち替えて、深く息を吐いた。
怖い。
やっぱりやめようかな。
一瞬、そう思った。
それでも、もう知らないふりはできなかった
何もなければ、それでいい。
「私の考えすぎだった」
そうわかれば、それが一番いい。
また夫を信じればいい。
でも、本当に何かあるのなら。
もう、知らないふりをしたままではいられなかった。
ずっと「気のせい」にしてきた。
夫を信じたいと思ってきた。
疑ってる自分の方が間違ってるんじゃないかって、何度も思った。
それでも、違和感は消えなかった。
あの電話の向こうの静けさも、ずっと残ってた。
ここまで来たら、確かめるしかない。
そう思った。
この瞬間、自分の中で何かが切れた。
いや――
切り替わったのかもしれない。
私は初めて、誰かに夫のことを話そうとしていた。
まだ、この先どうなるのかなんて何も知らない。
何が見つかるのかも知らない。
それでも、この日。
震える手で送った、たった一通のLINEが、
私が夫の真実に近づいていく、最初の一歩になった。
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